青森の町づくりは今から四〇〇年前に始まったとされている。青森がまだ外浜そとのはまと呼ばれていた寛永二年(一六二五)、時の弘前藩主津軽信枚つがるのぶひらが、津軽から江戸への廻船の就航を許可する連署奉書れんしょほうしょを江戸幕府より拝領し、太平洋海運への参画が可能となったことで、拠点となる新たな港の建設と、海運業に対応できる商人の育成の必要に迫られてのことであった。この時、善知鳥宮から堤浦を中心とした地域に新たな港が築かれ、そこに広がる湊町として青森の町づくりが始まった。これが青森開港である。寛永三年(一六二六)には、信枚の命を受けた家臣の森山弥七郎もりやまやしちろうにより、積極的な人寄せ、外浜中の商船の青森港への集中等の政策が進められ、海運業と商業の町としての礎が築かれていった。そして青森の町はその後も本州と北海道を結ぶ物流や人の往来を支える要所として栄え、明治三一年(一八九八)の市政施行により青森市となるのである。青森開港から四〇〇年という節目の本年、海に育まれ発展してきた青森の歴史について改めて考えるとともに、更なる繁栄への願いを込めて、海の守護神ポセイドンの勇姿をねぶたで表現する。
解説/竹浪 比呂央