陸奥[みちのく]国の民は遥か昔より馬を尊び、馬と生活を共にしてきた。
なかでも七戸(青森県七戸町[しちのへまち])は今も昔も名馬の産地である。
七戸立とは七戸産の馬のことを指す。
この呼称を一躍世に知らしめたのは、かの有名な「宇治川[うじがわ]の先陣[せんじん]争い」で梶原源太景季[かじわらのげんたかげすえ]を負かし、佐々木四郎高綱[ささきしろうたかつな]に先陣の功をもたらした天下一の名馬、生唼[いけずき]。
元より源頼朝[みなもとのよりとも]の愛馬で、気性が荒く、馬でも人でも噛みついて傍に寄せないことからこの名が付けられた。
よく肥え逞しく大きな体躯を持ち、轟轟[ごうごう]と荒れ狂う宇治川をものともせず一直線に渡り切ったと瞬く間に名が知れ渡ると、武士らは続々と七戸立を求めた。
七戸に住まう人々は更に、生唼のごとき野性味あふれる悍馬[かんば]の調教に励み、いまなお数多くの名馬を輩出し続けている。
良馬産出祈願を以[もっ]て、馬頭観音[ばとうかんのん]の御加護[ごかご]を得た七戸立調馬図[しちのへだちちょうばず]をここに顕す。